2014年09月09日

媽祖と中国の民間信仰

1996m.jpg かつて長崎を訪れて以来、次第に媽祖(まそ)に関心を持つようになった。そして、各地の媽祖廟を訪ね歩き始めたところだった。媽祖のことをもっと知らなければと思い、朱天順『媽祖と中国の民間信仰』(平河出版社1996・8)を読み、得るところが多かった。
 本書は、中華圏で広く信仰されている媽祖、保生大帝、王爺、天公の四神を取り上げて考察しているが、媽祖が中心と言ってよい。研究書だけあって、本格的に文献などを検討していて、納得できるところが多かった。わたしは、媽祖信仰を単純に民間信仰と思っていたが、そうではないことを学んだ。具体的には、媽祖信仰は単なる民間信仰として拡大したのではなく、国家的な行事や働きかけの中で発展してきた歴史を持っていた。そして、その信仰の伝播がどのように行われたかが見えてきた。各王朝は、媽祖信仰の伝播を奨励し利用する政策をとってきたが、その背景となる社会的要素を、時代ごとに考察している。この部分が、わたしにとって非常に有益だった。
 媽祖のことを、宋代の林氏の娘が神として祀られていったと単純にみていたが、媽祖の生い立ちには諸説あることも知った。また、現代の部分においては、中国大陸のみならずアジア各地、さらにはアメリカやブラジルにも記述が及び、「この目で見たい」というわたしの気持ちを高めたのだった。
 「福建・台湾の天公信仰」という章も、長い間わたしが疑問に思っていたことを解決するヒントを与えてくれた。
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2014年09月06日

野尻湖とナウマンゾウ博物館

 以前、「俳諧寺一茶堂」(信州ミステリー紀行:2014・6・23)で、大谷羊太郎『信濃黒姫殺人事件』を取り上げた。この作品には、野尻湖、湖中の小島である琵琶島(弁天島)、「野尻湖ナウマンゾウ博物館」なども登場している。わたしは隣県の新潟県で育ったが、高校生の時に、野尻湖でナウマン象の骨が発掘されたことを習った。思い出すと、何とも懐かしい。この辺りはお勧めの場所なので、ちょっと紹介しておきたい。
 雪に閉ざされた冬が終わると、野尻湖では遊覧船が運航される。四十分ほどで湖を回るのだが、途中の琵琶島で降りて宇賀神社を参拝できる。晴れていれば黒姫山なども見え、満足度は高い。
 野尻湖ナウマンゾウ博物館では、ナウマン象に関するいろいろなことを知ることが出来る。館内には、野尻湖出土の丸木舟も展示されている。平安時代中頃のものとされ、これがまたわたしを惹きつけた。ちなみに、ナウマン象の名は、ドイツ人のエドムント・ナウマン博士に由来している。博士は、中央地溝帯をフォッサマグナと命名した人でもある。わたしは、『信濃黒姫殺人事件』がきっかけになって博物館を訪れた。満足して出て来た後、ナウマン象が歩き回っていたはるか昔のことを想像してみたが、なかなかイメージが湧かないのだった。
 写真の二枚目が、宇賀神社の鳥居。三枚目は、博物館の内部である。

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2014年08月18日

中国貴族の真珠

mm703s.jpg 書店で、月刊「ハヤカワ ミステリマガジン」(2014・9)を見ていたら、「中国貴族の真珠」(宮澤洋司訳)という作品が掲載されていた。こういう題名を見ると読まずにいられないので、その場で購入した。
 作者のオースティン・フリーマンは英国の人で、コナン・ドイルと同時代に活躍した作家。この作品は、1909年に発表された〈ソーンダイク博士〉シリーズ第一短編集から取られたという。「解説」には、「当時らしいオリエンタル趣味をふんだんに取り入れた、怪奇テイストをもつ不可能犯罪もの」とあって、読むのが非常に楽しみだった。
 物語は、ブロドリブ氏がソーンダイク博士に、ある奇妙な事件を持ち込むことから始まる。ガルバリー青年に妄想があり、鏡の中に自分とは違う顔が見えるということだった。話を聞いてみると、事の発端は、フランスの港湾都市マルセーユの骨董店で、風変わりで奇怪な外観をした真珠のペンダントを購入したことだった。そのペンダントをめぐる、これまた奇妙な話が展開していき、やがて殺人事件が起こる……。
怖いスリラーといった印象で、わたしなどはツタンカーメンの呪いを連想してしまった。読んでいて、何となくだが、大体のところの予想がついた。彼の作品は初めてだと思うが、遠い昔に読んだような既読感を覚えた。古典的というか、古き良き時代の良きミステリーといった趣きだった。わたしは、エキゾチシズムとノスタルジアの両方を感じて、たいそう満足した。
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2014年07月28日

シティ・オヴ・グラス

IMG2b.jpg ポール・オースターは、1947年生まれ。アメリカ人の作家であり、詩人である。彼の作品は、十年以上前に一冊読んだことがあった。特に強い印象もなかったが、『シティ・オヴ・グラス』(山本楡美子・郷原宏訳:角川文庫1993・11)には惹きつけられた。原題は、『City of Glass』(1985)。
 探偵小説のようであり、探偵小説と呼ぶのはふさわしくないようであり、不思議な作品という印象を持った。登場するクィンの生き方に惹かれるものがあり、一部ながら自分と重なるところがあるように感じた。また、推理小説に対する嗜好が自分に近く、ミステリーファンに国境は無いものだ、と改めて思った。
 さて、彼のところに、夜中に間違い電話がかかってきたところから物語は展開していく。相手から、「わたしを守って欲しい。そして、殺そうとしている人間を見つけてください」と頼まれた彼は、それを引き受けて行動を始める。精神を病んでいるかにみえる人物との会話が始まる。また、クィンが追う人物との会話が続く。それらの会話が、なかなか面白い。相手が、「わしは今、新しい言語を考案中だ」という部分などがそうだ。読んでいて時々よく分からない部分が出てくるが、そこでも理解できない面白さを感じる。これは『荘子』の思想に通じているのではないか、と思ったりする部分もあった。
 読み進めていって、やがて理解につながると思われる記述を見つけた。「わたしがいないところこそ、わたし自身のいるところだ」という表現で、「ボードレールは言った。『私がいないところでは、私はいつも幸せだろうと思われる』」という文章がすぐ前にあった。ここまできて、わたしはヒントをもらったのだった。
 話の筋も面白いが、次々に登場する会話が面白くて楽しめる。むしろその会話を楽しむ小説なのかもしれない。探偵というのは、この作品にとって設定の一つにすぎないのではないかと思われてくる。最後まで読んできて、物語が終わったという感じがしない。この作品は、ニューヨーク三部作の一作目だそうだ。「訳者あとがき」も参考になった。いつか残りの二作も読まずにはいられないだろう、と思った。
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2014年06月23日

俳諧寺一茶堂

602俳諧寺一茶堂s.jpg610俳諧寺一茶堂s.JPG617俳諧寺一茶の墓s.JPG


 大谷羊太郎『信濃黒姫殺人事件』(コスモノベルス)は、芸能界ネタが珍しく、その裏話が大変に面白い。ある人物が犯人ではないかと思わせるような書き方をしておいて、実はそうならないという、作者独特の展開をしている。実に楽しめる一冊だ。
事件の捜査で、八木沢刑事が目的地である黒姫駅にやって来る。わたしが子どもの頃は、柏原駅といっていた。作品では「この地の観光の目玉は、小林一茶の史跡」とあって、一茶の旧宅などが紹介されていく。いわゆる旅情ミステリーなのだが、歴史的な説明もまた面白くてためになる。
 この地、長野県上水内郡信濃町は、江戸時代の俳諧師である小林一茶ゆかりの地である。一茶は、この地に生まれ、この地を離れ、この地に戻って生涯を終えた。一茶記念館のすぐそばに、俳諧寺一茶堂がある。一茶の像と、「初夢に故郷を見て涙かな」の句碑が建てられている。さらに進んでいくと、小林家一族の墓がある。その中に一茶のものがあり、細長くて高い墓石には「俳諧寺 一茶翁墓」の文字が見える。
 わたしは若い頃に、一茶の作品を読んでいる。なかでも心に残るものとして、二つ挙げることができる。雪国育ちのわたしが共感する「これがまあ終(つひ)の栖(すみか)か雪五尺」、一茶の屈折を感じさせる「涼風(すずかぜ)の曲がりくねって来たりけり」である。
 写真は、俳諧寺一茶堂とその天井、一茶の墓である。



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2014年05月23日

新☆再生縁7

591s.jpg 滝口琳々『新☆再生縁(7)』(秋田書店プリンセス・コミックス:2014・5)が、発売された。
 いよいよ廃太子が決議されるという日、それを阻止するため、君玉は命を懸けて聴政の場に向かう。そこで失敗して命を落としては、この物語が終わってしまう。読んでいるわたしは、きっとうまくいくに違いないが、どうやるんだろうと考えながら読み進めた。さて、その展開は、読んでのお楽しみ。
 後半は、萬貴妃側の巻き返しを中心に物語が進んでいく。ここでの注目点は、萬貴妃と劉奎璧の腹のさぐり合い、いわば心理戦である。この劉奎璧という男、なかなかのくせ者だ。しばらく姿を見せなかった君玉の父の孟子元も、終わりの方に登場する。これ以上、話の筋に触れることはできないが、なかなか読み応えがあった。伏線も、ちゃんと張ってある。
 冒頭に、地震を感知する「候風地動儀」が出てくる。わたしは、かつて読んだ『後漢書』までの正史(せいし)に、「地(ち)震(ふる)う」という記録が多く出ていたのを思い出した。ちなみに、一番笑ったところは、四十六頁の「力説」あたりだった。
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2014年05月08日

新施公案(3)

新施公案s この「新施公案」には、三つの話が収められている。第二十三集の途中から、第三十七集までが、最後の物語となる。
 施公は、爾斉王爺と蘭若格格の結婚の取り持ちをすることになる。ところが、施公が縁談を持って行くと爾斉は、蘇霊という女性を娶りたいと言って断る。これが話の発端となる。蘇霊とは、同じ屋敷に住む乳母の娘である。話が進んでいくと、出産時の赤ん坊取り替え疑惑が表面化して、事件が起きる。施公は、もしそれが本当なら、背後に皇族の血脈伝承のからむ大事件だと。こうして、ミステリアスな物語が展開していく。
 前二作と同様、清の宗室のからむ設定となっている。まったく期待しないで見始めたが、ドラマとしての出来は、非常にすぐれている。特に、女優陣の演技のすばらしさは賞賛に値すると思う。公案小説に基づいて作られたドラマをたくさん見てきたが、これほどの作品はちょっと記憶にない。指折りの面白さで、迫力もあると感じた。福晋役の女性は、威厳があり名演技。蘭若役もなかなかで、その陰湿な策謀は見どころである。乳母役の演技も、鬼気迫るものがあった。
 いくらか不自然なところはあるが、全体的には補って余りある面白さ。ある種の精神世界を描いているといった趣があった。そうした心理描写的な展開は、まさに現代人のものという気がした。また、最終集での蘭若の変化には、哀しさを覚えずにはいられなかった。実に見どころのあるドラマだったが、そこに登場した施公は、鉄面無私(公正無私)とは違っていた。
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2014年04月17日

ラブラバ

ラブラバs エルモア・レナード『ラブラバ』(鷺村達也訳:ハヤカワ・ミステリ文庫1988)は、彼の二十二番目の長編だという。原題は『La BRAVA』(1983年)で、アメリカ探偵作家クラブ賞を受賞している。帯には、「男と女と悪党どもの犯罪ドラマ!」とある。
 ラブラバというのはカメラマンの名前で、三年ほど写真を撮っている。数ある作品から、これを優先して読んだのは、わたしが写真やカメラが好きなことによる。ライカCL、ニコン、また「8×10(エイト・バイ・テン)のプリント」が登場し、露出を自分で決めるフィルムカメラの時代の話である。
 ラブラバが悪人を追っていくのだが、写真を撮っていたことが、事件に関係する人物の理解につながっていく。彼は単なるカメラマンではなく、特異な経歴を持っている。映画にも詳しいのだが、その彼の前に、十二歳で夢中になって恋い慕った映画スターのジーン・ショーが登場する。帯にあったように、まさに悪党どもの犯罪ドラマが展開していくのだが、そこにはまた、男と女の人間ドラマもあった。現実世界と過去の映画の世界がオーバーラップして物語が進行していく。
 受賞作品にしては、ややおとなしいという印象を持ったが、十分に楽しめた。読んでいて、ここに描かれたアメリカの刑罰が、日本より重い感じがした。銃を使った脅しの場面がでてくる。そこで引金を引く引かないといった場合の人間心理の描写に、なるほどと感心させられた。
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2014年03月10日

新施公案(2)

新施公案s 第二話は、第十一集の終わりから第二十三集の途中まで。黒覆面の男が、「間水天」というところの地面を掘って粉を撒く場面から始まる。一方、施公は順天府に転任となる。この物語を観るに当たって、「貝勒」という言葉を知っておく必要がある。これは、清の宗室に与えられる爵位の名である。これに敬称をつけて、貝勒爺となる。
 その貝勒爺である徳栄の屋敷に、沈嘉南という男がやって来る。沈はかの覆面男で、風水に基づいて、間水天を手に入れるよう貝勒爺の母親に持ちかける。一方、間水天には陳淑林という婦人がいて、かたくなにその要求を拒絶する。追い出すために手段を選ばない沈嘉南。両者の間に確執が起こるが、徳栄の弟の徳明と、陳淑林のもとにいる莫愁は、やがて心を寄せ合うようになる。いろいろな出来事を織り交ぜながら物語は進行していく、という設定になっている。
 沈嘉南という男は、一体何者なのか。彼が間水天の土地にこだわる理由は何か。これらが明かされるとき、すべてがつながり、謎が解ける。この部分は、なかなか面白かった。貝勒爺の、舌足らずのような独特の話し方も、なかなか効果的だと思った。
 一集が、各四十分ほど。全部でおよそ八時間の長さの第二話だが、不自然な設定や、うんざりする場面が少なくなかった。ようやく面白くなってきたと感じたのは、第十八集の終わりの方になってからだった。
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2014年02月23日

新潟・天寿園

56浮玉堂s33双環万寿亭s 「新潟市天寿園」を、訪れる機会があった。園内には、一九八八年十月付の、中国日本友好協会会長と新潟県日中友好協会会長の連名による、「天寿園記」の石碑がある。ここにある中国庭園と日本庭園が、故谷村繁雄氏と関わることが書かれている。「中国残留孤児」と呼ばれる人たちを育ててくれた中国の人々に対する感謝の気持ちが、この園の造営につながったことを、初めて知った。
 パンフレットによると、中国庭園は、中国人による設計、施工で、資材もすべて中国から運んだ本格中国庭園である。実在する名勝を各所に取り込んでいて、中国の庭のほとんどあらゆる要素をどこかで体験できるようにしてあるという。わたし自身、かつて訪れたことのある北京の頤和園などを思い出しながら、園内を回ることができた。
 写真の一枚目だが、左奥にあるのが浮玉堂で、手前にあるのが舟形の置物。二枚目は、双環万寿亭である。
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2014年02月13日

新施公案(1)

新施公案s 中国の公案小説を読み続けて、『施公案』の「第四十五回」まできた。まだまだ先は長いのだが、そろそろいいかなと思い、積んでおいた「新施公案」というドラマのDVDを観はじめた。遼寧広播電視音像出版社出版発行の7枚組で、全三十七集、中文字幕つきである。施公関連のものとしては、この「壺中天」で2006年8月20日(映画・テレビドラマ)に、「施公奇案」を取り上げて以来である。「暑期熱播懸疑幽黙公案大劇」とあるが、懸疑とはサスペンス、幽黙はユーモアの意である。
 「施公案」の名を入れてあるが、歴史上の施公と異なるのは言うに及ばず、小説の『施公案』とも異なる創作である。歴史上の人物は施世綸で、『清史稿』に伝がある。康煕二十四年に二十七歳で、江蘇泰州知州となった人物である。小説の『施公案』では施仕綸となっており、このドラマでも同様である。ちなみに普通話(標準語)では、「世」と「仕」はともに「shi」の第四声で、発音が同じである。
 小説『施公案』の始めの方で、施公はよく腹を立てて部下を罵り、打たせたりしている。しかし、ドラマでは穏やかで冷静な人物として描かれている。事件内容が異なるばかりでなく、登場人物も異なっている。要するに、ドラマの「新施公案」は、まったく「新」しい「施公案」なのである。
 さて、ドラマの最初の事件は、第一集から第十一集の終わりの方まで。泰州知府施仕綸が、どのように裁くか見物だと、お忍びの康煕帝が登場する。裁きを見た帝は、施公を江南第一の清官として、揚州知府に転任させる。施公の義妹の柳青衣は、武芸に秀でていた。施公と青衣がお忍び姿で出かける。怪しい宿屋に入ったあたりから、事件に巻き込まれていくという設定。
 次から次に得体の知れない人物が現れ、それが何者なのか、これが見どころとなっていく。記憶を失った十三という子ども、彼を守ろうとする僧、濡れ衣を着せられた若い女が一緒に旅を始める。途中の茶店で、南という男と出会い、道中をともにすることになる。その南の回りには、怪しい男たちがつきまとう。
 街で出会った老婦人に気持ちを寄せる十三。一行が老婦人の屋敷に来てみると「在勇堂」とあり、並の人間の住まいではないようだった。十三の書いた絵を見た老婦人は、「これは太后の着ている鳳袍で、普通の者は見られない」。いろいろ考えた老婦人は、「ありえない」とつぶやく。そして、十三の記憶を取り戻させようとするのだが……。
 物語の筋は、複雑とはいえない。施公は超人ではなく、人間らしく温情豊かに描かれている。ただ、冴えがあまり感じられない施公といった印象で、展開がやや平板な気がする。ちょっと物足りなさが残り、以後の展開に期待しているところである。


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2014年01月24日

諏訪湖周辺

4352上諏訪駅足湯s



























4313諏訪湖s



























4337高島城s



























 諏訪湖は、長野県最大の湖である。諏訪には温泉が湧いていて、観光地としても知られている。その諏訪湖を舞台にした推理小説で、わたしの読んだことのあるものが二冊ある。津村秀介『諏訪湖殺人事件』(光文社文庫1991年)と、大谷羊太郎『信州諏訪湖殺人事件』(コスミック文庫2003年)である。諏訪湖に行って、二つの作品ゆかりの場所に立ち寄ってきたので、写真とともに紹介したい。
 二作品ともに、JR上諏訪駅のホームにある露天風呂(一枚目の写真)が出てくる。二十年以上前だったろうか、わたしはこの温泉に入ったことがある。当時、男湯と女湯に分かれていた。たしか夏のことで、湯が熱すぎて湯船に入ることができず、お湯だけかぶって出て来たことを覚えている。いまは足湯に姿を変えて旅人に親しまれているが、駅のホームにあるというのは、大変に珍しいのではないだろうか。
 さて諏訪湖だが、二作品とも湖畔公園の辺りが描かれている。わたしが訪れた時は、雪が積もっていて公園の中に入れないような状態だった。二枚目の写真は、湖畔公園から「かりん並木」を歩いてきて振り返ったところである。
 また、両作品には、諏訪湖から少し歩いたところにある高島城(三枚目の写真)が登場する。案内板によって説明すると、高島城は天正18年(1590)、豊臣秀吉の家臣の日根野織部正高吉によって設計され、慶長3年(1598)に完成した。「諏訪の浮城」と呼ばれ、諏訪氏の居城として威容を誇ってきた。しかし、廃藩置県により天守閣が撤去され、明治9年(1876)に「高島公園」として一般に開放された。現在の高島城は、昭和45に再興されたものである。
 最後に、二つの作品についても触れておきたい。まず、『諏訪湖殺人事件』だが、時刻表によるアリバイ崩しをテーマにしている。なかなか面白く、レベルが高い。アリバイ崩しは単純にみえたが、なかなかそうはいかない。最後まで読んできて、言われてみれば何ということもないのだが、不可能と思わせる筆の力はなかなかのものである。
 『信州諏訪湖殺人事件』は、まず、犯罪のアイデアが面白い。旅情ミステリーというと、ある種のパターンに則って書かれることが多いように思うが、この作品はそれとは異なって、独特の展開、そして独特の面白さで楽しませてくれる。犯人は早くから判っていて、進行を楽しむ作品かと見せかけておいて、実は「藪の中」といった展開なのである。


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2014年01月02日

華夷通商考

華夷通商考s 西川如見(1648-1724)は、長崎の通詞出身で、江戸時代中期の天文学者として知られる。その著『華夷通商考』の名前を聞いたのは、わたしが高校生の時にさかのぼる。飯島忠夫・西川忠幸両氏の校訂による岩波文庫『日本水土考・水土解弁・増補華夷通商考』(第1刷は、1944年)に収められているものを読んだのだが、なかなか面白かった。増補というのは、『華夷通商考』に船や人物などの図を加えたものという。飯島忠夫氏の「序」によると、「著者が徳川時代の中頃、長崎に居て見聞した、支那、南洋、西洋の事情を、主として通商の関係から叙述したもの」で、資料としても貴重なものになっている。なお、原文は旧漢字、旧仮名遣いである。
 全五巻のうち、巻之一と巻之二では、中国を「中華十五省」に分け、先ず歴史や地理などについて簡略に記す。そのあとで、如見が長崎で見聞した船や人々、言葉の発音などについて触れ、さらには土産について書いている。読んでいて、中国の実に多くの土地の情報が、長崎に入って来ていたことが分かる。
 「土産」というのは、ここではその土地の産物ということ。わたしにとって興味深かったのが、この部分だった。織物、薬草、香辛料、嗜好品、鉱物などが多いが、珍しいものも混じっていた。雲南省土産の一つに火浣布が挙げられていて、「火鼠の毛にて織たるものと云、垢つくときは火中にて焼ば白くなる」とあった。ここに挙げられたものがすべて長崎に持ち込まれたのではないと感じさせるが、唐人が如見に語ったことを想像すると、まさに興味が尽きない。文中には、航海の守り神「媽祖」や、唐船入港の記述もあり、わたしがかつて読んだ関係書の原資料の一つという思いがする。中国に関する記述の詳細さに比べると、さらに離れた国々については、伝聞の域にとどまるところがある。しかし、これはこれで、当時の人々の理解が伝わってきて面白かった。


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2013年12月28日

壺中天目次2013年

・「マレー半島 美しきプラナカンの世界」(読書の部屋)0106
・「新潟県柏崎市西山町・西遊園」(日本のなかの中国)0110
・「どもりのオウムの秘密」(ロバート・アーサー)0114
・「新潟県柏崎市西山町・田中角榮記念館」(日本のなかの中国)0118
・「新☆再生縁5」(漫画の部屋)0122
・「海からの世界史」(読書の部屋)0126
・「中国の海商と海賊」(読書の部屋)0130
・「京都府宇治・萬福寺」(日本のなかの中国)0203
・「『Dee Goong An』の朗読CD」(ヒューリック)0207
・「ささやくミイラの秘密」(ロバート・アーサー)0211
・「神戸・関帝廟(1)」(日本のなかの中国)0215
・「緑の幽霊の秘密」(ロバート・アーサー)0221
・「神戸・関帝廟(2)本堂」(日本のなかの中国)0221
・「もえる目の秘密」(ロバート・アーサー)0225
・「神戸・坂の上の異人館(旧中国領事館)」(日本のなかの中国)0301
・「銀グモの秘密」(ロバート・アーサー)0305
・「神戸華僑歴史博物館」(日本のなかの中国)0309
・「叫ぶ時計の謎」(ロバート・アーサー)0313
・「神戸・諏訪山稲荷神社」(日本のなかの中国)0317
・「話すどくろの謎」(ロバート・アーサー)0319
・「神戸・孫文記念館」(日本のなかの中国)0326
・「The Mystery of the Vanishing Treasure」(ロバート・アーサー)0330
・「祁門紅茶」(お茶の時間)0503
・「紀行・華僑の住む国々を巡って」(読書の部屋)0525
・「The Secret of Skeleton Island」(ロバート・アーサー)0607
・「トレジャー・オブ・スケルトン・アイランド」(ロバート・アーサー)0614
・「卜案(1)卜案之傀儡術」(映画・テレビドラマ)0622
・「五つの不吉な盗みの謎」(ロバート・アーサー)0629
・「卜案(2)卜案遊侠令」(映画・テレビドラマ)0713
・「ジョークスター」(ロバート・アーサー)0727
・「卜案(3)卜案之魘法」(映画・テレビドラマ)0811
・「魔王と賭博師」(ロバート・アーサー)0831
・「卜案(4)卜案之芳星血泪」(映画・テレビドラマ)0909
・「新☆再生縁6」(漫画の部屋)0924
・「安曇野・お船祭りの人形」(日本のなかの中国)1004
・「シャーロック・ホームズの冒険」(シャーロック・ホームズ)1012
・「卜案(5)卜案之山鬼降」(映画・テレビドラマ)1019
・「過去からの弔鐘」(ローレンス・ブロック)1019
・「SHERLOCK HOLMES MUSEUM」(シャーロック・ホームズ)1109
・「ムーンシャイン・ウォー」(エルモア・レナード)1117
・「長崎・有田殺人窯変」(読書の部屋)1130
・「千一夜の館の殺人」(読書の部屋)1215
・「壺中天目次2013年」(壺中天目次)1228
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2013年12月15日

千一夜の館の殺人

千一夜s いつか読みたいと思って関連書籍とともに積んであるが、なかなか手の出せないものに『千一夜物語』(アラビアンナイト)がある。それでも前嶋信次『アラビアン・ナイトの世界』(平凡社ライブラリー1995・9)に続いて、芦辺拓『千一夜の館の殺人』(光文社カッパ・ノベルス2006・7)を読むことができた。『千一夜物語』をどう作品に取り込むのか、非常に興味があった。 
 さて、新島ともかの親戚である是藤紗世子が、繰り返し何者かに命を狙われる。事情を知った新島ともかは、彼女の身代わりになって真相を探ることにする。次々に起こる殺人事件。あちこちに掛けられた絵が登場し、それらは『千一夜物語』を描いたものと思われたが……。
 久珠場博士の遺産相続が絡んでいるのだが、謎解きが面白い。また、どうして「千一夜の館」の場所を知るかというアイディアが、これまたよくできている。著者の力の入れようが伝わってくる作品だ。『千一夜物語』に興味が無かったら、これほど楽しめたかどうか分からない。わたしが期待した『千一夜物語』関係でちりばめられたものも面白く、なかなか巧みに織り込んであると感じた。プロローグに登場した『若狭郡県志』などの記述も、最後まで読んできて納得させられる。
  この作品の始めの方に、「アストロラーベ」という言葉が出てくる。文中に登場する、久珠場博士のコンピューターのシステムを指す。もともと、大昔の人が航海などで星を見るのに使った道具、天文観測器具で、中世のイスラム世界で大いに発達したと説明されている。わたしは、名古屋海洋博物館でその複製を見たことがある。大海原を船で航海した時代のことを、わたしなりに思い浮かべたことだった。


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2013年11月30日

長崎・有田殺人窯変

長崎有田s 旅に出るのがかなわぬ時は、その方面のミステリー小説を読んで楽しむことにする。というわけで探し出したのが、梓林太郎『長崎・有田殺人窯変』(実業之日本社ジョイ・ノベルス2012・12)。「私立探偵・小仏太郎」シリーズの一冊である。梓氏は、山岳ミステリー作家として知られているが、わたしは山登りをしないこともあって敬遠していたが、十分楽しむことができた。読み始めて、先に紹介したローレンス・ブロックのマット・スカダーの設定にいくらか似ているように感じた。
 さて、奇妙な事件が立て続けに起きる。その被害者の愛人が、いずれも元警察幹部だった。マスコミに嗅ぎつけられるのを恐れて、小仏太郎のところに捜査依頼が来る。小仏は四十五歳で、かつては警察官だった。彼は事件を探りに、長崎に向かう。平和公園、浦上天主堂から始まって、佐賀県の有田や伊万里などに話が及んでいく。陶磁器の歴史的説明が挟まれるとともに、あちこちに旨そうな食べ物が登場する。
 読んでいて、なぜ犯人が被害者や元警察幹部の情報に詳しいのか、という疑問がわいてくる。じつは、これがこの作品のポイントなのである。読み終わって、なるほどな、いかにも今の世の中を描いているな、と感心する。題名に「窯変」とつけられた理由も分かる。ますます旅に出たいと思ったことだった。


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2013年11月17日

ムーンシャイン・ウォー

ムーンシャインs 『ケンタッキー・バーボン紀行』(東理夫=文・菅原千代志=写真:東京書籍1997)は、楽しめた一冊である。そこに、「禁酒法時代のケンタッキー州の密造酒造りのことを書いたミステリーにエルモア・レナードの「ムーンシャイン・ウォー」(扶桑社)があって、これもお薦めだ」とある。ようやく入手して、読むことができた。
 『ムーンシャイン・ウォー』(北澤和彦訳:扶桑社ミステリー(文庫)1991)の原題は、『The Moonshine War』。ムーンシャインというのは、月明かりのこと。しかし、この言葉には、密造酒という意味もあった。熊手篤男氏の解説によると、「人々はこの時代、月の光を頼りに蒸留器の釜から燃え立つトネリコの煙を山陰に隠し、小川の流れから清水を引き、材料を運ぶ荷車の轍を消し、そしてウィスキーを造っていた」ということである。
 ケンタッキー州の田舎町、マーレットが舞台。禁酒法時代の終わりも近い1931年のこと、ジョン・W・マーティンが隠して残したと噂される八年もののコーン・ウィスキー百五十樽をめぐる物語である。その樽は隠されていて、サン・マーティンだけが、ありかを知っている。この密造酒の隠し場所が、まずミステリーになっている。そこに群がる様々な人間たち。密造人と取り締まり側との銃撃を伴うやりとりは、まさに戦争である。そして、取り締まり側というのが、これまた単純ではないのである。
 この作品には、法律破りの酒類密造人が登場する。ばれたら自らお縄になるような人間ではない。信念を持ち、銃を持って、密造酒を守ろうとするのである。主人公の、ウイスキーを失っても、失えないものがあるという信念の物語ということもできる。
 わたしはこの作品を読んで、主人公の、お上や他人にはよらず頼らず、物事は自分で決めるという潔さに惹かれた。また、銃社会といわれるアメリカの、底流となる考え方を垣間見たような気がした。「大きな政府」志向の、いまの日本とは全く異なる世界が展開していた。それは、「大陸的」といっていいようにも感じた。
 読み終えて、一つでいいから、樽に入ったウイスキーを自分の家に欲しいものだと思った。それも、大きな樽で。


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2013年11月10日

SHERLOCK HOLMES MUSEUM

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 ロンドンの「SHERLOCK HOLMES MUSEUM」に行ったのは、およそ十七年前である。日本では、「シャーロック・ホームズ博物館」と訳されている。そこでもらったパンフレットも、いつの間にか無くしてしまったので、覚えていることを少し書いておきたい。
 建物に入ると、受付の女性に何か言われた。急なことで聞き取れず、聞き返すと、「ランゲイジ(Language)?」と言う。「Japanese」と答えたところ、用意されている各国語のパンフレットから、日本語のものを渡してくれた。
 ホームズの部屋で、記念写真が撮りたくなった。職員らしい女性に、「Excuse me. Please take my picture.」と言ってシャッターを押してもらった。懐かしい思い出だ。
 写真は、一枚目が入り口で、「221B」の文字が見える。二枚目は、その記念写真である。古いネガを、以前フィルム・スキャナーで取り込んでおいたものである。写っているのはわたしだが、見苦しいものをお目にかけては申し訳ないので、顔の部分は消去してある。


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2013年11月02日

卜案(6)卜案之天雷動

卜案 22集の終わりから26集が「卜案之天雷動」で、これが最後の作品。雷の夜、皇上が兵部尚書李靖らを呼べ、大唐は十万の大軍を集めて後患を絶つと言い出すところから始まる。覆面の賊が動き出し、あちこちで殺人が起こる。長安城外の糧草連営で、天雷によりすべて焼けたとの知らせが届く。続いて、随意楼に倒れ込んできた瀕死の男。それは宋[王其]で、彼の舌は取られていた。さらに、鍾馗が手下の二人のコソ泥が女の首を見つけたと知らせてくる。女は金巧児といい、長安で有名な売れっ子歌姫だった……。
 一方、皇上は郡主を狄烈大王の妻にすることに決める。それで、郡主の結婚式の準備が進んでいく。李との駆け落ちを勧める執事だったが、それを断る郡主。
 事件の進展と、郡主と李の愛の行方が見どころとなる。ワイヤーアクションの場面も入って、物語は最終場面を迎える。それがどういうものだったかは明かせないが、なごやかであったのが、ほっとさせられた。


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2013年10月19日

過去からの弔鐘

01過去からの弔鐘s アメリカの作家であるローレンス・ブロックの「新ハードボイルド」もの、マット・スカダー・シリーズの第一作が、『過去からの弔鐘』(田口俊樹訳:二見文庫1987)である。原題は『THE SINS OF THE FATHERS』で、1976年の作品。ハードボイルドにはあまり馴染みがないのだが、探偵小説の一種で、主人公の生き方に重きを置くものだという。
 さらさら読めて内容も単純なようだと思って読み始めたが、そう単純ではなかった。元警官のスカダーのもとに来た依頼は、離れて暮らしていた娘のことを調査してくれというものだった。その娘のウェンディ・ハニフォードは、アパートで同居していたリチャード・ヴァンダーポールという男に殺された。牧師の息子であるヴァンダーポールは、事件後に異常な行動をしていたが、逮捕後に独房で首を吊っているのが発見され、事件は解決したものと思われた……。
 淡々と物語が進行する感じで、わたしは百ページほど読んだところで、核になる重要な部分の予想をした。読み終えて、それが当たっていたことを確認した。その意味で、この小説は難解な謎解き中心でなく、捜査の過程の描写を楽しむものだという印象を持った。
 わたしは中国関係の書物を多く読んでいるが、中国に限らず、外国のものや時代の異なる作品を理解することの困難さをいつも感じている。いわゆる、文化の違いというものだ。この作品の筋自体は難しくないが、宗教がらみ、精神世界がらみの部分は、わたしに十分理解できたとはいえない。改めて、善と悪といった問題の厄介さも感じた。読み終わって原題を見て、なるほどな、と思った。また、スカダーの非情な部分に驚く日本人は、恐らくわたしだけではないように思った。
 スカダーのいわば人生哲学が、この作品を貫くポイントになっていると思った。ネタばらしにはならないと思うので書いておくと、それは、確信できるが証明できない犯罪に対する対処の仕方である。楽しめた作品であり、カルチャーショックというものも感じた作品だった。スカダーがバーボン好きのところが、わたしにも共感できた。

posted by syouzou at 14:04| Comment(0) | ローレンス・ブロック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする